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城跡探し、これから


2004/5/23

これまで、大豆戸城や篠原城を探すにあたり、いろんな方に教えていただいたことや書籍で調べたことなどについて、ここで一度、感じたことや疑問な点をまとめておこうと思います。

そもそも僕が歴史にくわしくない、地元出身ではなく地理にうとい、などのマイナス要因に加え(汗、新横浜近辺にあったというお城自体、小机城は例外としてさほど大きい規模ではなかったらしい事、また、宅地開発もかなり進んでいる事もあり、どこが城跡なのかなかなか特定しづらい状況。

そういうわけもあって、いままで調べたことについても疑問が解消しきれない点や、まったく手掛かりの無い事柄がいくつかあり、ちょっとごちゃごちゃしてきているわけです。

【篠原城の城跡は本当に篠原城なのか?】
何を今更ですが、疑問の元となる資料は、港北百話(港北区役所発行)という本の中の、

表谷戸の項目──金子城・篠原城・小机城などが築かれると、やはりこの付近はそれらの各城へ行くための表通りとなったため、その入口という意味から表谷戸の名前ができたと言われる。
勝負田の項目──この勝負田の中を街道が通りこの街道に迫るように山があり、近くには篠原城や金子城・小机城と言った城があったことから、その名の由来もおのずと偲ばれる。

というように、篠原城と金子城は別のお城であるような記述になっています。
横浜市内城址の分布図
また、小机城址公園にある案内図「横浜市内城址の分布図」に、おおざっぱながらも篠原城の位置が載ってるのですが、その場所が先日見つけた篠原城の場所とちょっと違います(図参照)。微妙なズレとかなら仕方ないにしても、新幹線と横浜線という、割と分かりやすい目印があるのに……

要するにこれらの点から、篠原城と金子城は別のお城で、先日僕が見つけたのは金子城の城跡のみ、篠原城の城跡はまた別にあるのではないか、という疑問が生まれてくるわけです。

尚、これと反対の、つまり僕が行った篠原城は確かに篠原城(篠原城=金子城)を裏付けてくれる資料もあります。

 「神奈川の城(下巻)」(朝日新聞横浜支局編)では、篠原城:金子十郎城主と伝わるが、北条影虎の臣金子出雲が城代、「港北の遺跡を訪ねて」(港北区役所発行)ではズバリ、篠原城:新横浜駅の東側丘陵、新幹線と横浜線にはさまれた一角が篠原城址である。別名金子城址ともいわれ、城主は小机衆の篠原代官金子出雲と思われる、といずれも篠原城=金子城の説明になってます。

【まだ行っていない、もしくは場所が分からない城跡】
菊名城:「神奈川の城(下巻)」鶴見川流域の小机城の支城もしくは枝城として、篠原城、大豆戸城とともに挙げられています。場所は全く分かっておりません。こんもり地形からの調査候補地としては、蓮勝寺・法隆寺・妙蓮寺・カーボン山方面?
大曽根城:「神奈川の城(下巻)」神奈川県下主要古城リストとして挙げられています。場所は全く分かっておりません。同じくこんもり調査予定は、大乗寺・長光寺方面?
鳥山城:「神奈川の城(下巻)」鶴見川流域の小机城の支城もしくは枝城として、且つ、神奈川県下主要古城リストとして挙げられています。城跡をゆくの三輪さんより、「城郷小学校背後の丘で八幡神社は大手の位置と言われます」と情報を頂いております。


と、長々と現時点で思うことなどを書きましたが、これからも気の向くままボチボチと調べていこうと思います。

また、地元ならではの情報などありましたら是非教えて頂けると嬉しいです。≫掲示板

さらにお願い。これらの本どこで手に入るかご存知の方教えてください!

「港北区史」  港北区郷土史編さん刊行委員会・編  昭和61年発行
「港北百話」  「古老を囲んで港北を語る」編集委員会・編 昭和51年発行
「港北の歴史散歩」  横浜郷土研究会・編 昭和45年発行
「港北の遺跡を訪ねて」  港北の遺跡を訪ねて編集委員会・編  平成4年発行
「港北 都市化の波の中で」  横浜市港北区  昭和46年発行
「未来都市コーホク」  港北区区政推進課  昭和62年発行
「港北50&TODAY」 港北区総務課  平成元年発行
「新・港北物語」  港北区区政推進課・編 平成6年発行
「横浜の町名」  横浜市市民局  平成8年発行